皆が大好きな忠臣蔵の赤穂浪士が葬られているところです。
泉岳寺って
徳川家康が建てたお寺なんですよね。
実際にはいくつかの大名がお金を出し合って作らされていて
そのひとつが浅野家だったってことで
江戸の菩提寺が泉岳寺になっていて
だからそこへ吉良上野介の首を持って行ったんですね。
ここまでは
まぁ納得のいく話ですが
当日はよく知られているように雪の日で
この泉岳寺に行くまでには
本所の吉良邸からは3時間もかかっていて
すごく警備が厳重な関所を通らなくてはいけません。
なんでつかまらなかったのでしょうか?
しかも徳川家のお寺に易々入れて
お墓まで作られている。
なんでなんでしょうねぇ?
行ってみると良くわかりますが
なんというか
ここ、
お寺って言うより
ザ観光地。
車で境内の中まで乗り入れ可です。
へーっ。
今は違うけど
江戸時代は東海道に直接面していたらしい。
当時から旅人がわらわら来てたらしい。
主君の仇を取ったとはいえ、
テロリストですよね。
なんでこんな厚遇を受けられるのでしょうか?
なんででしょう?
その謎解きが
『日本史の謎は「地形」で解ける』(竹村公太郎著)に書かれていて面白い。
やっぱり「行ってみないとわからない」の第3弾でした。