2015年8月23日日曜日

日本郵船歴史博物館

「横浜税関資料室」からの帰り、
「おっ、こんなところに博物館が!」
面白そうじゃん、と今度来てみよう、
と思ってて来ました。
面白かったです。




夢中になりすぎて
疲れてしまって
結局全部見切れずにリタイア。
残りを見るためにまた来ることにしました。

毎度、なのですが
1から始まり8で終わる「順路」を無視して
4から見始めてしまい
途中、「ん???」と気づき
でもしつこく逆走して見ていたので
今一つ時代の流れが把握できていないのですが

まぁ、
ニッポン頑張りましたねぇ。
鎖国していたせいで
船の進化、どころか後退していた江戸時代、
その末期から
こりゃいかんと、岩崎弥太郎(だけじゃないけど)が
いっぱいっぱい背伸びして、
頑張って
追いついて
「どうだぁ!」っていう博物館です(笑)

いや、ほんと頑張りました。

氷川丸を見たときもそうだったけど
豪華客船が戦争で徴用されてしまうのは
本当に切ないですね。
すっごい立派なんですよ。
はじめのころは
半端なく贅沢だったんでしょうね
乗船名簿なんてあって、
それがとってもきれいなんです。
常備されている絵葉書もそれはそれは素敵。
海の上の高級ホテルなんです。
それが・・・

あと
トリビア的な知識もたっぷり。
旅順攻略の時、
(「坂の上の雲」で知った)
逃げられないように、船を沈めてせき止める作戦があったみたいなのですが
その時沈められた船が日本郵船の船だったとか、
弥太郎の会社と三井系の会社が
運賃のダンピン合戦をして
とうとう政府が乗り出してきて
合併して今の日本郵船になったとか。

へっー、と
すっごい面白かったわけです。

2015年8月9日日曜日

横浜税関資料室

「1934年竣工、「クイーン」の愛称で親しまれる塔はイスラム寺院風のドームでエキゾチックな雰囲気」なんだそうです。

ま、確かにそこそこ古そうです。
塔は遠くからも見えて、「あ、あそこね」って感じです。
引っ越したり、焼けたりで
ここは3回目に立てたもので
今のは平成に入って改修したものみたいです。




横浜税関の歴史は興味深かったです。
税関って昔は「運上所」って言ってたんですね。
安政6年(1859年)に初めて作られたってことは江戸時代からのものだったんだぁ。
明治に入ってからなのかと思い込んでました。
へーっ。

偽ブランド品がわんさか展示されてるんだけど
わっかんないっす。
よく出来てる。

ワシントン条約関係のものは
キモイものが多くて
ワニの顔付きのショルダーバッグとか
誰が買うんだよっ、ってものがてんこ盛り。
いやはや、人間の欲望って・・・って感じでした。

ここでの最高のびっくりは
戦後の引き上げの時
インフレ抑制のために
日本の持ち込めるお金を制限したんだそうです。
2000円(だったかな?)を超えるお金は
預かり証を出してくれてたのですが
何年か経ったら返してくれたんだけど
かなりの金額が取りに来ないまま税関に保管されたままなんだそうです。
本人は亡くなっていても
遺族などが申し出れば返してくれるそうですよ~。
へー。

ここに出てます。
http://www.customs.go.jp/tetsuzuki/c-answer/sonota/9302_jr.htm

骨董品としての価値しかないけど
紙幣によっては数万もするそうです。
へーっ。
http://www.customs.go.jp/yokohama/notice/henkan.htm




宮島

子供の時、修学旅行の時と行ったことはあるものの
なーんにも覚えていなかったので
改めて行ってみました。

超!猛暑だったせいか
フェリーが気持ち良かったぁ。
往復共にうっとりしてしまいました(笑)

宮島と言えば
「厳島神社」です
ここに辿り着くまで
ものすごい数のお土産物屋さんをかいくぐって行かなくてはいけません。
いつもなら、避けて別の道をいくところですが
あまりの暑さに
日除けのある通りが有難い!
しっかり途中で
カキ氷だの、てんぷらだのに引っかかってました(笑)


厳島神社ですが
潮が満ちた時に来たのは初めてかもしれない、と思いました。
← 鳥居が海の中になるのを見たのは初めてだぁ!









← 海の中にある回廊を歩くのは初めてだぁ!
潮が引いた時に来てはいけないんですね。
初めて学習しました。










管絃祭の翌日だったから
人出が少ないかもと期待してたのですが
甘かったわ。
わんさか、人がいた。

でも
面白かったです。


頼山陽史跡資料館

頼山陽って誰?
江戸時代後期の儒学者・漢詩人・歴史家・・・
ううむ・・・

『日本外史』を書いた人だそうです。

「外史」ってなんだ?
と思ってたら
国によって編纂されたものではないという意味だったんですね。
ちなみに国によって編纂されたものは「正史」といいます。
『日本書紀』とかですね。




常設展にかかっていた説明からの抜粋です。
--- ここから
「徳川幕府の没落をもたらすであろうと説いた「予言の書」として受け取られ~
吉田松陰らも愛読していました。~尊王討幕運動を鼓舞することになりました」
「頼山陽は尊王論者としてもてはやされたとされています。しかし~
名分が備わっていても善政を行わない為政者(天皇)に対しては厳しく批判しています」
「平明達意の文書で書かれた『日本外史』は、わかりやすく日本の歴史を学ぶには最高なテキストでした」
--- ここまで

つまり
明治維新で活躍していた人達のバイブル的な書物だったんですね。
誤解もあったみたいですが。
へぇ。

おもしろかったのが
「我が敵は本能寺にあり」って有名なセリフですが
← ここにあります
あれ?
もしかして
このセリフ、創作?
ではないにしても
司馬遼太郎が坂本竜馬を有名にしたように
頼山陽によってこのセリフを有名にしたみたいです。
へーっ。