2016年10月23日日曜日

「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」

シーボルトって
日本に近代医学を伝えた人、
でも日本地図持ってて追放された人、
くらいの認識しかもっていなかったけど
すっごい日本通?だったんですね。
日本が大好き!だったみたい。

とにかく手当たり次第(と見える)に集めた
そのコレクションで
帰国早々に日本展示をして
ヨーロッパを回っていたんだそうです。
亡くなったのも
その展示の準備をしている最中だったらしいから
すごいです。

そのコレクションが今回公開されたのが
この企画展です。


おもしろかったです。
何がって
美術品じゃない、普通のものがたくさん残ってる。
貴重じゃないものって意外と残らないものですよね。

藁でつくった玩具だとか物入れとか知ってました?
物入れとかすごく精巧で
寄木細工かと思っちゃいました。

綺麗な絵が刷ってあるカラフルな紙(便箋?)とか
綺麗な和紙の帯でまとめてある(ラッピング!です)かるたとか。

おもしろいのが
漢詩かるた。
そんなのあったんだぁ。
昔の人は教養が深かったんですねぇ・・・

人物画帳ってのがあって
色んな職業や年齢の人物の画が残っているんだけど
おかしいのが「泥棒」!
時代劇でみるみたいな恰好をしてるの。
ホントかな?(笑)
傀儡ってことば
傀儡政権とかって単語でしってたけど
操り人形を持った人物を「傀儡師」ってあり、
操り人形のことなんだぁって知りました。
へー!

あと
シーボルトの娘はその後どうしたんだろうと思ってたら
彼女が開業するときに
オランダで結婚した妻との子供が
支援したんだそうです。
その子供たちは
日本の赤十字社の創立にも関わり
シーボルトが死んだ後も
ずっと日本に影響し続けてたんだって知って
ちょっと感動しました。


江戸東京博物館からぶらぶら歩いて浅草に向かっている途中
横網町公園ってのがあって
なんか立派な建物がある。
「東京都慰霊堂」なんだそうです。








関東大震災による
遭難死者58,000人!の遺骨を
納めるために
昭和5年に
建てられたものだそうです。
現在は
東京大空襲の殉難者の遺骨も併せて
約163,000体の遺骨が
安置されているとのこと。

← この辺りは
       本所というところみたいで
    死者数がダントツ高い!

なぜここにあるかというと
この公園に避難した人の家財道具に飛び火し、
ちょうど来ていた台風の
風速17メートルの強風で燃え広がり
大勢の人が焼死してしまったからだそうです。
これって「火災旋風」ってやつですかね。
ちっちゃい公園って意外と危ないんです。
避難する時はとにかく広いところに避難しましょう!



←  地方に避難する人たちが
   汽車に乗ろうとしているところ。